オリジナル長編マンガ 和んだふるたい夢
(無料 スマホマンガ)
和夢で奥の細道をとりあげることになったきっかけの話 
 これはもともとは会社の社内報によく出かけている旅の記事でも書いて・・・と言われたことから社内報用原稿としてまとめたものです。

若い頃は冬の賞与全てをつぎ込んで海外を出かけていましたが、最近は国内の面白さに目覚めもっばら国内旅行。
自宅の壁に貼った日本と東京の地図の上に、観光した街に青いシール、飲み歩きした街に赤いシールを貼っています。すると空白部分へ行ってみたくなります。
しかし東北と北陸地域はなかなか足を運べませんでした。
そんな中、背中を押してくれたのが松尾芭蕉の傑作紀行文「奥の細道」
です。



芭蕉という天才を認識したのは衝撃的、伊賀の芭蕉旧居跡を訪れた時のことです。
ここには母屋とは別に釣月軒(ちょうげつけん)という離れがあります。
芭蕉は伊賀に立ち寄るとここで寝起きをしていたのですが、とてもちっちゃな庵。
この釣月軒の中で佇んでいると妙に落ち着くことに気づきました。
飾り気も物も素っ気もない空間なのですがなんかいい。
当時の人の身長を想像しながらそのまましばらく佇んでいました。(短気な自分には珍しく)
「ひとりの人間のパーソナルスペースに囲いをつけるとちょうどこんなサイズになるのでは?」
何もないシンプルな空間。有限なものに囲まれるのではなく、何もないがゆえにここで芭蕉は無限の世界を手に入れたのでは?
そういえば芭蕉が確立させた俳諧は連歌の発句の575だけを独立させたものです。
和歌に比べると14音も短いのですが、そこに無限の世界を創出させました。
演出家の三谷幸喜は「制約の中にこそ答えがある」とNHKのプロフェッショナルの中で言っていました。

奥の細道の中でも彼の記述をみていくと
山形県尾花沢の豪商、鈴木清風宅にお世話になった際には
「彼は富めるものなれど、志いやしからず」
と評したり、福井で洞哉という貧しい俳人の家では、寺院の建設現場から枕にと木切れをもらってきてくれたことに温かい感謝を示しています。
物の豊かさよりも心の豊かさを大切にする姿勢、彼の生きざまそのものに詫びの世界、芸術性があるのではないかと感じました。

改めて釣月軒を見渡すと、畳のサイズが小さいことに気づきます。
もしかしたら畳に部屋のサイズを合わせたのではなく、この空間に畳を合わせたのでは?
受付の人にそのことを聞いてみると
「畳は特注です。母屋の畳も特注なんですよ。」
と言われました。
母屋の畳をみて更に驚きました。釣月軒と違い母屋の畳には畳べりがあるのですが、この畳べりが通常の幅より狭いのです。

畳の主役はイグサではないかと思います。
一般的な畳は派手な柄の畳べりの存在感が大きくて主役であるイグサを喰っていると言えるのではないかと思います。しかしこの芭蕉宅の母屋の畳は畳べりの幅が狭く主役と脇役がうまく調和しており、イグサをイグサとして感じることができる幅なのです。
(もちろん芭蕉本人に聞いたわけではありませんが)
「芭蕉すっげー!」
感動しました!
松尾芭蕉は俳句だけでなく、めちゃめちゃ優れた芸術家なのではないのだろうか!


二度目の衝撃は九州でした。
それは年末の休みのこと。レンタカーにて宿を決めずきままに九州を巡っていました。
ふと目に入った神社が妙に気になって、どうしても足を運びたくなりました。
しょうがなく車を引き返しました。
しかしいざ訪れていると普通の神社。お参りだけして帰ろうとしたときに目に入ったのが「芭蕉の句碑」の文字。
芭蕉は九州へは訪れていないはず・・・
しかし由来を読んで納得しました。
芭蕉は最期まで九州へ行きたいといっていました。
そのため芭蕉の死後、弟子たちが俳諧を広めるため九州を旅し、ここに芭蕉の句碑を建てたのです。そこまでさせる芭蕉という人物の大きさ、改めて芭蕉について考えさせられました。
調べてみると、このような句碑は九州に二百基ほどあるようですが、訪れたのはその中でも最大のものでした。

句碑のある天満宮




四年前より自分のホームページを立ち上げ、作品を連載し始めました。
旅をテーマにすると決めたとき、真っ先に思い浮かんだのが松尾芭蕉です。
そこで舞台設定を芭蕉が奥の細道の旅をした元禄二年としました。
作品作りのための第一回目の取材旅で奥の細道の最終地点、岐阜県大垣にある「奥の細道結びの地記念館」を訪れました。
(詳細は旅コンテンツ2015年7月の3日目 水の郷 大垣に掲載)
これを皮切りに福島、宮城、岩手、福井、山形、新潟と奥の細道の足跡を訪ねる旅を開始しました。
作品作りのための取材が目的ですが、旅先には必ずと言っていいほど、芭蕉の句碑や銅像があります。
その写真を撮っていくうちにだんだん・・・銅像がないと残念・・・とスタンプラリーのような気持になってきました。
奥の細道の行程には名所や旧跡が多く登場します。
芭蕉の句にはその歴史背景を元に作られた句も多く、読むだけで灌漑深い気持ちにさせられます。
悲劇の最期を遂げた源義経、奥州藤原氏の栄枯盛衰、九尾の狐、玉藻の前や黒塚の鬼女などサイドストーリーのように現れる物語たち、芭蕉が尊敬する西行法師の足跡を訪ねた様子や、芭蕉をささえる各地の俳人ネットワークなども楽しめるポイントかなと思います。

一昨年のこと、母方の実家を訪れました。
目に留まったのは居間の額、挿絵を添えた墨書です。「印刷だ」・・・と思うと同時にその文字を読んで驚きました。
「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人也・・・」
それは声に出して読んで気持ちの良い名文、奥の細道の冒頭文でした



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