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安土・山科ドライブ(2017年5月13日)

大阪コミティアへの出店、その前日にやってきたのが
和夢の復習と予習の旅です。

新幹線で京都に到着するとすぐに在来線に乗り換え、山科駅へ。この日は大雨。ラッキーだったのが宿泊予定のホテルが山科駅のすぐ前、しかも地下通路で駅とホテルがつながっていて、駅から傘をさすことなくホテルまでいけたこと。ホテルへ荷物を預けるとさあ、レンタカー屋へ歩く!

まず訪れたのが下のこの人。
元、黄泉の十二神将、黒ムカデの舵蓮(だれん)さんにまつわる地です。



そこがこの瀬田の唐橋。
瀬田の唐橋を通りかかった俵藤太(たわらのとうた)
彼はこの橋にどーんと横たわる大蛇を恐れる人々の視線の中で悠々とわたって見せます。
すると大蛇はその正体を見せました。
そう実は大蛇はこの唐橋の下の竜宮に住む姫(老人の話の場合も)でした。


彼女の話で三上山を7周もするような巨大なムカデが夜な夜な琵琶湖の魚を食べて困っているとか。そのムカデを俵藤太は退治することに。
ちなみに下の山が三上山。
かわいらしい形の山。相当な大きさです。

藤太は矢でそのムカデを退治し、たくさんの米を竜宮からもらって帰りました。

途中、近江牛の看板に惹かれながら、安土を目指しました。
車が多くて気がちょっと焦っていました。

そうしてたどり着いたのが安土城考古博物館。

ホームページには掲載できないですが、ここで撮影させていただいた資料写真は和夢の安土城跡のシーンで大きく役立ちました。全体の雰囲気もつかめた気がします。
そう展示の中で信長の娘で冬姫という姫がいることを知り、冬のシーンで登場いただきたいなあ・・などとも考えたりしました。

博物館で近江牛うどんを食べていよいよ安土城址です。
さんざん降っていた雨がなんと博物館を出るとすっかりやんでいました。
おかげで安土城跡は気持ちよく歩くことができました。

安土山。すっかりと緑に覆われています。
もちろん天守閣は焼けて残っていません。
(燃えたのは本能寺の後、織田信勝(信長の息子の一人)が火を放ったとか・・・。)



安土城址の入り口です。



城山の入り口からぐんっと伸びる長い階段。
信長のイメージは単騎で馬に乗って駆けだしたのを慌てて部下たちが追いかけていくというイメージですが、この階段はさすがに馬では降りないようで、馬の通路は別にあったそうです。

通路の両脇には侍屋敷。
下は藤吉郎、そう秀吉の屋敷跡です。


天守閣はもうすぐ。
ここはちょっと神妙な雰囲気。


下は本丸跡。
ここには天皇を迎える予定のため建てられたそう。


そして和夢でも登場する天守閣跡。
礎石だけが雨に洗われています。


安土城からの景色。当然当時はこんなに大きな木はなかったはず。


違う角度。


安土山の中でも寺の塔と山門は残っています。
信長というと無宗教のイメージですが、安土山にはしっかりと寺がありました。
(城の石階段には何か所ももともと山にあった石仏がそのまま埋め込まれ利用されたりはしていたけれど・・・。)





安土城を後にすると駅前の資料館にも立ち寄りました。
ここには安土城の大きな模型があって(しかも一定時間ごとに城が二つに割れて内部の様子も見ることができる)、これも和夢の作画資料として大きく参考にさせていただきました。
(もちろんアレンジはしてますが・・・)



本当はこの跡に余呉湖の天女像と賤ヶ岳周辺も散策してみたかったのですが、とてもではないけれどレンタカーを返す時間が間に合いそうにないのであきらめました。

その変わりホテルのある山科まで戻って立ち寄ったのが坂上田村麻呂のお墓です。
歴史の授業でもかならず出てくる征夷大将軍。
こんなにひっそりと、でも整然と迎えてくれました。


そしてレンタカーを返却するとホテルで休憩。

夕食に出かけることに。
色々とお店を物色、結局入ったのは一軒の和食屋さん。
アットホームなお店で大将や若奥さん(?)とお話ししながらおいしく食事をいただきました。
大将は店をやる前は水槽でいきた魚を運ぶドライバーさんもされていて魚を扱うこと35年。いろんな魚のお話をおしえていただきました。山陰と北陸のカニ漁の違いとか。
グジおいしかった!

もう一軒たちよって歌を歌いたい気分だってけれど山科にはどうやらスナックはないよう。ガールズバーが一軒あったので寄ってみたけれどカラオケはなく、お話を楽しんでホテルへ。
そう、翌日は関西コミティア!

20170617アップ

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