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静岡・愛知の旅歩
(2017年10月7日、8日、9日)

3日目 駿府城

再び静岡へ戻ってきました。
駅前には家康の銅像。(幼少の頃の銅像もあります)

駿府、ここはかつて、今川家の人質時代を過ごし、そして晩年を過ごした場所です。

駅のすぐ近くには家康が幼少頃に遊んだ神社があります。
っといっても移転をしているため、実際はもっと城に近い場所にあったそう。


そして現れるのが駿府城へつづく門です。

天守閣は現在はなく、大規模な発掘調査が進められていました。

当時の家康に思いをはせながら城跡を散策。
岡崎城で生まれたものの、すぐに人質に出され、ここ駿府にて今川家で家庭教師をつけられて勉強をしました。
幼少も、青春もここ駿府。
家康にとってもしかしたら本来の地元、三河よりも人質になっていた駿河の方がふるさとらしかったのではないでしょうか。

文化的に進んだ今川家で学んだ家康はある意味帰国子女のような立場だったのでは。
家康というと部下に議論をさせて最後に意見をいうイメージがありますが、それも他所から来たが故のやり方だったりして。
それで晩年、最後はここ駿河に来たのでは・・・。

城跡にも家康像があります。
左手には鷹。
ちょうど昨日放送されたプラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯がちょうど駿河が舞台でした。
そこで一富士二鷹三茄子の由来を解明していましたが、なんと三つともここ駿河がゆかりでした。
駿河の良いところPRしているみたいです。

戦国の時代、領地を得たまま晩年を迎えることができるものはわずか、さらに子孫にその土地を残せているものはさらに減ります。
自分の希望する地で晩年を迎えることができた武将はどれだけいたのでしょうか。
先祖の墓をうつさずに済んだものはどれくらいいたのでしょうか。
そんなことを考えされられました。

ちょっと家康さんに近づけた気がしました。
そうそう、旅の直後、ちょっとだけ不思議なことがありました。
仕事でお客さんの情報誌のコンペがあったのですが、プレゼンしている最中にご担当者に電話がかかってきました。
女性がメモを持ってこられてのですが、その電話の内容というのが情報誌に掲載する旅行の行き先が愛媛から変更になる場所が静岡の久能山に変更になったということでした。
久能山は家康が自らの遺体を安置するように指示した場所。
最初に東照宮が建てられた場所です。
(かつて社員旅行で訪れたので今回の旅の中では立ち寄りませんでしたが。時間的にも寄れなかったです)



ちなみに下は西郷隆盛と山岡鉄舟の会談跡地です。
にぎやかな繁華街の中にあります。






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