第18話 信長塀の鬼 |
さあ、第2部の始まりです。 舞台は10年前、士刃双樹の幼少時代のお話です。 今回はいままでで一番難産でした。 ノートに文章でストーリーを起こし、それをネームに書き起こすまではスラスラ次々と物語の展開が浮かび上がってきたのですが、そこからネームを書き直す度にストーリーが変わる。 いつもはネームを2回しか書かないのにすっきりせず、4回も書くことに。それでも引っかかるものがとれず、その時点で24ページだったものが、下書きをしながらも修正するうちに34ページになってしまいました。 主人公である士刃双樹を作者自身がまだ完全には掴み切れていないせいかもしれないなと思いました。 そんな中、双樹の出奔した歳も当初5歳と考えていたけれど、なんとなくすっきりしないままストーリーを進めていました。 そんな中、TVを騒がしていたのが一つのニュース。 北海道で小学生の男の子が、しつけのために森の中に一人車から降ろされ置き去りにされた後、行方不明に。そして6日後に発見された。その少年は7歳だった。このニュースは日本だけでなく海外でも報道され社会問題のようにも扱われた。 そうだ、7歳だ。 そんなわけで双樹は7歳で出奔となった。 今回、登場させたかったのが柳生です。 そのため、5月の連休の東京のコミケ出店の際には 柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の現した「兵法家伝書」を旅の供として傍らに置いていました。 徳川家康が天下を手にした最後の戦い大坂夏の陣では宗矩は秀忠(後の2代将軍)の傍にいた。 乱戦の中、秀忠に迫る7名の敵を宗矩はその剣術であっという間に倒してしまったとか。 兵法家伝書は「殺人刀」と「活人剣」からなる。 「人を殺す刀はかえって人を活かす剣となる。乱世には殺人刀を用い、平和な世には活人剣を用いるできだ」と説く。この中には剣の技術だけでなく、禅や能の影響と見られる記述も多い。 柳生は徳川の剣術指南役であり、宗矩は3代将軍家光からも絶大な信頼を得ていた。 江戸時代という長く戦争のない稀有な時代の精神的な礎の一つではなかったと思う。 先日、上野を散歩し、天海や藤堂高虎などの足跡を考えながらもそんなことを考えていた。 そうそう、もう一つ取り上げたかった熱田神宮については下書きの舞台や旅の方で触れてみます。 |
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