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1日目(岐阜羽島) (2015年11月21日、22日、23日 円空さんの足跡を訪ねる旅~飛騨・高山~) |
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和んだふるたい夢の舞台を元禄2年と定めてからぜひ物語に登場させたいと考えていた人物がいた。 江戸時代に活躍した仏師「円空さん」である。 生涯で12万体以上の仏像を彫った円空さん。 現在も5000体以上が残されている。 その人となりに触れること、そして元禄2年に何をしていたのか、その空気に近づくことを目的とした。 11月の3連休。 広島駅より新幹線に乗り込むと京都でのぞみからこだまへと乗り換え、岐阜羽島駅に降り立った。 駅前には巨大な円空彫り風のモニュメント。 円空生誕の地。 キャリーバックをコロコロと引っ張りながら駅前のレンタカー屋を目指す。 新幹線の中で本を読んだり、タブレットで円空さん情報を検索したりしながら辿り着いたわけだけれどまずは洞戸(ほらと)の円空記念館を目指すつもりだった。 けれど、レンタカーに乗り込み、「円空」で検索するとなんと岐阜羽島駅ほど近くに円空資料館が表示されている。 気持ちは洞戸へ行く気満々だったけれど、(宿に予定している飛騨高山へたどり着くまでの時間もなんとなく気にしていたので)しかしせっかくなのでこれも縁と円空資料館へ向かうこととした。 見上げると空にはきれいな筋が描かれている。 良い旅になりそうな予感。 中観音堂・円空資料館。 駐車場につくといきなり円空風の彫刻が並んでいた。 (写真は撮ってなかった。) 中に入ると想像とは違った仏像が並んでいた。 円空彫りというと大胆な彫り口の仏像、そこから生み出される光の陰の陰影が大きな存在感、年輪とあいまってなんとも言えない表情を生み出す作品をイメージしていたけれど、ここに並ぶ作品(と呼んでいいのかな)たちは真面でより平面的な印象の仏像だった。見本通りに映して作ったような印象だった。 そういえばピカソも初期にはしっかりとしたデッサン画を残している。円空の初期もピカソのそれに似ているのかもしれない。 彼の父親は誰かわからない。 母親はまだ彼が幼いころ長良川の洪水によりその命を落とした。 その後、寺で育った彼はやがて仏像を彫り始める。 BY 〇C+ |
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